浜石の紋 秋鼓会
浜石ふとん太鼓の歴史
2013-07-15 更新

浜石地域の石津神社に、ふとん太鼓が奉納された歴史は古く
明治42年(西暦1909年)の事である。
その太鼓台は「晒仲(さらしなか)」と銘うった太鼓台であり
元は殿馬場の造酒屋の社長の要請によって
遠里小野の大工が明治36・7年頃に制作した堺太鼓であった。

当初(明治41年に)菅原神社の所属だったこの太鼓台を
地域の晒白業及び世話人が購入した当時、石津神社の周辺では
石津川の清流を利用した晒(さらし)業がたいへんに栄え
この地域の多くの人々がこれに従事していた事から
「晒仲」と名付けられたものと思われる。

残念な事に、この太鼓台「晒仲」は何故か?、この翌年に売却され、
(一説によると、あまりにも重過ぎた為にあえなく手放した。)
以後50年以上前の一時期、子供太鼓が奉納されていた期間を除いては、
長らく浜石地域でふとん太鼓が舁かれる事はなかった・・・


  当時の「晒仲」は、明治43年に(当時の)南旅籠町農人町の有志に売却された後  
  現在は開口神社の秋祭りにて「大南戸川(隅田)」として勇壮に舁かれている。


ふとん太鼓、再興!

堺の都市化・大人口化が進んだ昭和54年、石津神社の各氏地から
7台もの樽御輿が奉納される転機を迎えた後の昭和60年
湊の個人所有の子供太鼓(旧、小太鼓)を購入し50数年ぶりに
「ふとん太鼓」の登場と成った。



その後、昭和63年に石津若中さんから中太鼓(現、緑ヶ丘さん)を購入し
10年間舁かれた後、平成9年現在の大太鼓を百舌鳥梅町さんから購入し
翌年の平成10年に宮入・奉納され現在に至る。



石津神社で執り行われた、現・本太鼓入魂式(左)
旧中太鼓(現・緑ヶ丘中太鼓)抜魂式(右)

平成16年の7月18日早朝に放火による類焼に遭うも
地域の皆様の多大なご支援ご協力と応援
そして太鼓台関係者の尽力によって
同年の秋祭りには勇壮に舁く事が出来ました。






復活! 浜石ふとん太鼓

浜石ふとん太鼓(正面)

平成16年9月20日に行われた入魂式当日の休憩の際に撮影
不幸にも放火による類焼にあった、我らが本太鼓が
この日の前日に修復を終えて、浜石に帰ってきました!。

ヽ(゜▽゜*)乂(*゜▽゜)ノ バンザーイ♪

これもひとえに御支援・御声援くだされた方々のおかげであります。
ほんとうに、ありがとうございました!。
今後とも、御支援・御声援を、謹んで宜しく御願い致します。m(__)m


石津神社境内にて舁かれる大太鼓

入魂式の当日は、天候にも恵まれて
石津神社の境内で勇壮に舁かれました。

9月20日、入魂式と試験舁き
画像クリックで別窓へ拡大表示します。

浜石の 本太鼓 ♪
あか〜い布団も 鮮やかに ♪
ふと〜ん締めには 金の綱 ♪
波打ち踊るは 白い房 ♪
黒〜い 法被の 若い衆 ♪
小栗 街道 よう舁ぐで ♪
ベーラ ベーラ ベラ ショッショイ! ♪

石津の宮さん 三つ柏 ♪
泉州最古の 戎宮 ♪
石津の川では 布晒し ♪
明治の太鼓は 晒仲 ♪
浜石太鼓は ええ太鼓 ♪
小栗街道 房の華 ♪
ベーラ ベーラ ベラ ショッショイ! ♪

ヽ(*⌒∇^)ノ
浜石ふとん太鼓祭り囃子歌(3番、4番 浜石オリジナル)

2008-10-14 「復活!浜石ふとん太鼓」と統合しました。

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Writing by 秋鼓会 @ (=^∀^=)
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