浜石ふとん太鼓
歴 史

浜石地域の石津神社に、ふとん太鼓が奉納された歴史は古く、明治42年(西暦1909年)の事である。
その太鼓台は「晒仲(さらしなか)」と銘うった太鼓台であり、元は殿馬場の造酒屋の社長の依頼で 遠里小野の大工が明治36・7年頃に制作した堺太鼓であった。

当初(明治41年に)菅原神社の所属だったこの太鼓台を、地域の晒白業及び世話人が購入した当時、 石津神社の氏地である浜石地域では、石津川の清流を利用した晒(さらし)業がたいへんに栄え、 この地域の多くの人々がこれに従事していた事から「晒仲」と名付けられたものと思われます。

残念な事に、この太鼓台「晒仲」は何故か? (一説によると、あまりにも重過ぎた為にあえなく手放した。)、 この翌年に売却されて以後、今から50年以上前の一時期、 子供太鼓が奉納されていた期間を除いては、長らく浜石地域でふとん太鼓が舁かれる事はなかった・・・。
(この太鼓台は、明治43年に(当時の)南旅籠町農人町の有志に売却された後、 現在は「大南戸川(隅田)」として勇壮に舁かれています。)


ふとん太鼓、再興!

堺の都市化・大人口化が進んだ昭和54年、石津神社の各氏地から7台もの樽御輿が奉納される転機を迎えた後の昭和60年、 湊の個人所有の子供太鼓(現、小太鼓)を購入し、50数年ぶりに「ふとん太鼓」の登場と成った。

その後、昭和63年に石津若仲さんより中太鼓(現、緑ヶ丘さん)を購入し10年間舁かれた後、 平成9年に現在の大太鼓を梅町さんから購入し、翌年の平成10年に宮入・奉納され現在に至る。

尚、平成16年の7月18日早朝に不運にも放火による類焼に遭うも、地域の皆様の多大なるご支援ご協力と応援、 そして太鼓台関係者の尽力によって、同年の秋祭りには勇壮に舁く事が出来ました。


 トップへ戻る 

このページを“お気に入り”に登録しておくと便利です。

浜石ふとん太鼓 秋鼓会 PC版は
http://hamaishi.web.fc2.com/
からアクセスできます

(C) KHAS 2008
秋鼓会@(=^∀^=)
inserted by FC2 system